

柳原和子さんの追悼文特集をやっています

< 追悼文特集5★『読売新聞』(3月28日)掲載 >
▼作家 田口ランディ
柳原和子さんを悼む
「がん 薄っぺらい同情 笑う」
三月二日、ノンフィクション作家の柳原和子さんが亡くなった。
「がんになってわかったことがたくさんある」
初めて会ったとき、柳原さんはこう言った。「がん患者はね、がんになった瞬間からマイノリティになるの。突然に不幸を背負った人間として扱われる。びっくりするわよ。あなたも一度なってみれば?」
答えに窮した。

< 追悼文特集4★「ぶらり写真術入門」(6月20日)掲載 >
▼写真家 松尾忠男
柳原和子さんを悼む
ドキュメンタリー作家・柳原和子がこの世を去った。今でも半信半疑だが、事実だ。時は2008年3月2日である。享年57歳の若さだった。僕は新聞で見たという妻からその訃報を聞いた・・・

< 追悼文特集3★『朝日新聞』(3月21日夕刊)掲載 >
▼朝日新聞社 太田啓之
「世界と個人」同時に見通す
ノンフィクション作家 柳原和子さん
最初に卵管がんを告知されてから11年、再発して「余命半年」と言われてから4年たった今年1月末。東京都内のホスピスに、友人や取材仲間ら53人が集まった。ノンフィクション作家の鎌田慧さんが「ものすごく無駄な取材が多くて、借金も多い人」と話すと、爆笑が起こった。もちろん、ほめ言葉だ・・・

< 追悼文特集2★『婦人公論』(4月7日号掲載)>
▼ノンフィクション作家 後藤正治
柳原和子さんを悼む
柳原和子さんの著書との出会いでいえば『「在外」日本人』が最初である。世界各地で暮らす日本人百余人への大部のインタビュー・ノンフィクションであるが、一読して図抜けた仕事だと思った。異郷の地を終の住処と定めた人々へ問いかけていく・・・

< 追悼文特集1★『毎日新聞』掲載 >
▼毎日新聞社会部編集委員 萩尾信也
妥協を許さぬ生き様 柳原和子(やなぎはら・かずこ)さん
旅立ちの朝は、病室の窓辺に置いた鳥かごで文鳥が歌を添えた。東京都内の緩和ケア病棟。 姉と2人の友人にみとられて、安らかな最期だった・・・

▼ノンフィクション作家 鎌田 慧
『さよなら、日本』書評 〜ひとびととまっすぐに向き合った壮大な記録〜
足かけ四年、四十ヵ国六十五都市、二百四人を取材したあと、 九四年に刊行されて読者を驚嘆させた『「在外」日本人』の著者が、ルポルタージュを書きはじめたころからいままで、 三十年にわたる作品を選んだ。
ひとりの女性が身銭を切って世界を歩き、 そこにすむ日本人の目から世界を捉えようとする壮大な夢に憑かれたように、 人々と出会い、まっすぐにむかいあって丁寧に話を聞き、誠実に書いてきた、その気品が漂っている・・・

▼作家 黒川 創
柳原和子さんへのメッセージ 〜1月26日の会に寄せて〜
きょうは素敵な会をありがとう。
急に指名された気恥ずかしさでイイカゲンな毒舌でお茶をにごしてしまったのですが、作家・柳原和子の評価についてひとこと申し述べるべきだったと悔やまれて、補足します・・・

▼朝日新聞社 太田啓之
僕にとって柳原さんは、自然にあるでっかい岩石のような存在だ。ゴツゴツしていて、容易には形状を把握できない。別の角度からみればまるで違う形に見える。座り心地もよくないけど、しばらくすると陽光に温められたほのかなぬくもりが伝わってくる。うまく言えないが、まあそんな感じだ。
柳原さんへのインタビューを記事にまとめようとして、えらく苦労したことが2度ほどある・・・