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▼ノンフィクション作家 鎌田 慧

 『さよなら、日本』書評 〜ひとびととまっすぐに向き合った壮大な記録〜

 足かけ四年、四十ヵ国六十五都市、二百四人を取材したあと、九四年に刊行されて読者を驚嘆させた『「在外」日本人』の著者が、ルポルタージュを書きはじめたころからいままで、三十年にわたる作品を選んだ。

 ひとりの女性が身銭を切って世界を歩き、そこにすむ日本人の目から世界を捉えようとする壮大な夢に憑かれたように、人々と出会い、まっすぐにむかいあって丁寧に話を聞き、誠実に書いてきた、その気品が漂っている。

 相手に対する静かな目線は、イスラエル、ニカラグア、キューバ、ウクライナ、新ユーゴスラビア、東・中欧などでインタビューに応じてくれた現地の日本人との安らかなつながりによってばかりか、かれらの周辺にいるひとたちとの交流によってもささえられていたことを知らされる。

 つまり、他に追随を許さない壮大な記録である。『「在外」日本人』は、外国へ行ってあたふたと、ひとりふたりに会って帰ってくる、という取材ではなく、そこにできるだけ長く滞在して、その国そのものまでをも捉えようとする貪欲さによっていたことが、取材当時、「思想の科学」に発表されていた文章によって、あきらかにされている。

 たとえば、メキシコシティからキューバのハバナにむかう機中で彼女は、サンディニスタ革命によってニカラグアの大統領になり、その後、米国の選挙干渉によって敗北した、ダニエル・オルテガと偶然出会う。著者は彼のあとを追って、記者会見の場で再開している。

 ハバナ郊外には、チェルノブイリの事故で被曝したウクライナの子どもたちを療養させる施設がある。私も二度ほど訪問したことがあるのだが、キューバ政府が、米国の経済封鎖を受けて苦しい生活の中で、ウクライナの子どもたちに医療の援助をつづけているのは、目を瞠らされる「美談」である。が、著者が尋常でないのは、ここであった子供たちを訪ねて、さらにキエフまで足を伸ばすのだ。と、そこから、まったくべつの話が展開する。

 被爆した子供の母親にあって、被爆当時の様子を聞き、子供たちの死について聞き、さらに、官僚やマフィアの親族や賄賂の成果としてのキューバ行きになってしまったウクライナの退廃まで、聞きだす羽目になる。徹底取材は、このような痛みまでともなうことになる。マスコミのインタビューに対する、十四歳のナターシャの詩。

 でも、私はもう何にたいしても驚かない
 死ぬことにたいしても、ね
 感動することが何もなくなってしまったのよ
 答えたっていいことなんか起きるはずもないでしょう

著者がマスコミの軽薄に無縁でいられたのは、それが借金になったとはいえ、取材費を自分で賄っていたからである。そのなにものにも囚われない静かな視線は、無欲さがもたらしたもののようだが、学生時代、六八年大学闘争の洗礼をうけたあと、駆け出しライターとなり、それもやめてカンボジアで七年、ボランティアをつづけていたひたむきさが、ヒトの話を受け止める感性になっている。

 関東にある、生家の崩壊を書いた一章を読めば、著者が東南アジアや中南米やウクライナのひとたちと一緒に泣き笑う交流の土壌を理解することができる。若いときからの静かな視線が、さらに透徹したものになっているのは、「中央公論」の連載をまとめた『百万回の永訣』にも書かれていた、がんの再発と過酷な治療をくぐり抜けてのことであろう。

 タイトルの『さよなら、日本』は、こんな国なんかさっさと訣別したい、という読者の憤りに迎合したものではなく、「遠くはない将来、この国ではない、どこの国でもない国に往く」という不断の決意の表現である。どうか柳原さん、まだまだ生きつづけ、書きつづけてください。

(週刊朝日 2007.9.28号 「週刊図書館」に掲載)

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