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< 追悼文特集3★『朝日新聞』(3月21日夕刊)掲載 >

▼朝日新聞社 太田啓之

「世界と個人」同時に見通す
 ノンフィクション作家 柳原和子さん

 最初に卵管がんを告知されてから11年、再発して「余命半年」と言われてから4年たった今年1月末。東京都内のホスピスに、友人や取材仲間ら53人が集まった。ノンフィクション作家の鎌田慧さんが「ものすごく無駄な取材が多くて、借金も多い人」と話すと、爆笑が起こった。もちろん、ほめ言葉だ。

 デビュー作「カンボジアの24色のクレヨン」では、一人のカンボジア少年の体験を書くのに7年かけた。「『在外』日本人」では、5年がかりで40カ国を旅して、204人の日本人を訪ねた。

 採算や手間を度外視した作品への献身は、熱烈な読者と仲間を生んだ。がんを告知された時、銀行口座の残高は200円だったという。多額のカンパのおかげで闘病と執筆に専念できた。

 インタビューを試みるたびに、記事にまとめるのに苦労した。話が飛んだり、さっきと反対のことを口にしたり。だが、一つひとつの言葉をかみしめると、深い思索の過程が次第に伝わってきた。

「この人はこういう考え」と言い切れない、複雑さと重さがあった。

 長期生存患者の肉声や医師との対談、自らの闘病をまとめた「がん患者学」は、患者の切実なニーズに応えるとともに、医療従事者の自省の契機になった。作家白石一文さんは「世界を見通す望遠鏡と、個人にこだわる顕微鏡が共存するまれな作品。患者だけではなく、生と死の間で悩む人にこそ勧めたい」と話す。

 グルメで、自分が食べられない時でも友人には美食をおごった。病んでも旺盛な生命力で、生きる喜びを味わい尽くそうとした。恋愛を大切にした。

「あぁ。木に出会いたい。海に出会いたい。光を浴びたい。自然を取り戻したい。贅沢な希望」  2月初めのこれが最後の文章。日曜の朝、家族や仲間が目を離したわずかな間に、自分でその時を選んだかのように静かに逝った。笑顔だった。

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