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< 追悼文特集5★『読売新聞』(3月28日)掲載 >

▼作家 田口ランディ

柳原和子さんを悼む 
「がん 薄っぺらい同情 笑う」

 三月二日、ノンフィクション作家の柳原和子さんが亡くなった。

 「がんになってわかったことがたくさんある」

 初めて会ったとき、柳原さんはこう言った。「がん患者はね、がんになった瞬間からマイノリティになるの。突然に不幸を背負った人間として扱われる。びっくりするわよ。あなたも一度なってみれば?」
 答えに窮した。その目がいたずらっぽく笑っている。不思議な女性だった。辛辣で理論家。そのくせ、純真でナイーブ。大人と子どもが一人の人間のなかに同居している。

 当時、彼女はがんの再発を乗り越え「百万回の永訣」を出版したばかり。解放感と同時に、再々発への不安が同居していたに違いない。病を知らぬ健常者の鈍感を、彼女はチクチクと刺した。

 でも、それが快感だった。柳原さんとつき合うと、自分がわかる。他者への理解の浅さ、おためごかしな態度、うすっぺらい同情心で病者に接していたことに気づかされる。

 彼女には嘘偽りがなかった。まっさらで正直で、怖いほどありのままの自分をさらけ出していた。再々発のときは脅えていた。落ち込むと電話にも出なかった。長い闘病生活のなかで書き上げた名著「がん患者学」は、がんを患う者のバイブルとして、多くの読者に生きる希望を与えてきた。だが、希望を語る彼女もまた、がんを病む一人の患者であったのだ。金欠と恐怖のなかでのたうちまわりながら、書くことを宿業としてきた柳原さんの生き方は、私に「作家とは何者か」を問いかけてくる。

 「文学者はがんを物語の装置として消費している」

 そう語った彼女の言葉は図星だと思った。では私はなにを書いたらいいのか。がんそのものを描くことができるか。そう思って『キュア』という小説を書いたが、もう末期に入った彼女は「さすがに、がんの小説なんて読みたくないわ」と病室に飾ってくれた。

 昨年の十一月、最後の作品となった「さよなら、日本」の出版を祝し、二人で食事をした。政治経済から社会問題まで、話題は広がり大いに語った。ひと心地ついたとき彼女が笑って言った。「やっと私の目を見てくれるようになったわね」。どきっとした。再々発がわかってから、私は彼女に遠慮していた。彼女の目の奥の死と向きあうことが怖かったのだ。でも、会話があまりに楽しかったので興奮し、がんのことを忘れていた。ただ目の前にいるこの人と話すことが純粋に楽しい。そこに、がんは関係なかった。大切なのは「いまこの瞬間」しかない。だけど私は、どれほど柳原さんと「この瞬間」を共有できたろうか。私の迷いが、いまでは私の悔いだ。偏見なく生きるとは、なんと難しいことか。

 かけがえのない才能が、地上から消えた。でも、作品は永遠に残る。自らをヨブと呼んだ柳原和子が、命をかけて書き続けた言葉はこの世の福音である。真摯であるがゆえ、深い湖面のように読者を映し出す。

★この記事は、読売新聞社の許諾を得て転載しています。

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